開運!風水鑑定団トップ > スポンサー広告 > 風水の歴史開運!風水鑑定団トップ > 風水の基礎知識 > 風水の歴史

     

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

風水の歴史

風水の歴史の起源は、孔子や孟子が活躍した紀元数百年の春秋戦国時代とも言われていますが、定かではありません。
風水という言葉は、晋代(4世紀頃)の郭璞(かくはく)が書き著した「葬書(そうしょ)」という文献に出て来たのが最初です。

郭璞は中国の東晋時代の人で、占いなどの神秘的な術に通じていた人でした。
元帝に仕えていましたが、帝が死んだあと王敦という人の部下になっています。
ところが、王敦の謀反のくわだてを郭璞が占ったところ、大凶の結果がでてしまいこれがもとで怒りをかって殺されてしまいます。
ところが実は、郭璞は殺されたとみせかけて仙人になったとも言われています。

「葬書」には、形勢の理論、気、蔵風得水、四霊(四神)説など、のちの風水学の原点となるものが記されています。
風水はこの「葬書」をもとにして江西、江南地方に広がり、学派をつくって研究されるようになっていったと言われています。

その、葬書のなかで有名なのが
「気は風に乗ずれば散じ、水に界(へだ)てられれば即ち止まる。古人はこれを聚(あつ)めて散ぜしめず、これを行いて止めるあり。ゆえに、これを風水という」。
という一説で、風水の語源と言っていいでしょう。
簡単に言うと、風水の本質は気を操ることにあり、「風」をあやつり「気」の流れを用いることにより、運気を上げることだという意味あいです。


風水はもともと道教の中の仙道五術の奥義です。
仙道五術は森羅万象の過去から未来に至るまでを判断し、運を切り開いていくのに風水羅盤を用いて、国家や皇帝の安泰の為に使われていました。
国を守るために主に軍策として、どこにどういう布陣をおけば効率が良いか、どこから攻めればよいか、またどこに城を築けば攻められにくいかなどを地理・方位などから判断するために使われていたものです。
国が安泰となってからは軍策だけでなく、繁栄する都作りや国作りに利用されるようになります。
唐の時代になると楊均松(よういんしょう)によって風水学が庶民にまで広がることとなり、自宅の家相や、個人のうまれた時間を元に個人の吉凶を判断するものとなっていったのです。

その後風水は二大流派に分かれることになります。
一つは、肉眼でみた山並や川などの地理、形成より予測をたてることを重視する「形法派」で、唐の楊均松を始祖とし、江西省を中心に発展しました。
もう一つは、風水盤を用いて五行星、八卦、九星、十干十二支などの記号を方位に割り振り、吉凶禍福を予測する「理法派」で、門中を始祖とし、福建省を中心にで発展しました。


風水は602年に百済の僧、観勒(かんろく)によって日本に伝えられたというのが定説です。
平安時代の陰陽師がこの風水の奥義を会得し、中国から伝来してきたこの奥義を踏まえ、暦を読み、国の祭事を司り、風水に基づいた都作りをしていました。
陰陽師は国の重要な地位を確立し、その発言が国を左右するほどの力をもつことになりました。
碁盤の目のように整然としている平安京の都は、風水に基づき作られているのは有名です。
また、徳川家康が京から江戸へ遷都した際も風水を取り入れ都を作っており、江戸城は風水では理想の場所にあります。
平安時代や江戸時代が長く続いたのも、風水の影響があったからだと言えるかもしれません。


投稿:「開運!風水鑑定団」 管理人


theme : 占い
genre : 趣味・実用

ブログ内検索
TOPページ
開運!風水鑑定団 トップ
カテゴリー
最近の記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

風水について
住んでいる土地の方角、部屋の間取りやインテリアが気になることはありませんか?
風水的には玄関やトイレなどの位置関係が重要ですが、間取りは変えられない事もあります。そんなときでも運勢をアップするための風水の知恵をご紹介します。
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブロとも一覧
開運!占い鑑定団
今日の”がばい”ニュース!
リンク
関連ブログ
にほんブログ村 その他趣味ブログ 占い・鑑定へ
人気ブログランキングへ
RSSフィード
QRコード
QR
  1. 無料アクセス解析
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。